にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 PVアクセスランキング にほんブログ村

ああああブログ

読書の感想なんかいろいろ、あれしたり、マラソンの攻略もしていきます。チャットGPTに物語を書いてもらってどうなるかの実験中

やりたいことは何かわからない?

やりたいことが何かわからないとよく考えている。自分だけじゃなくてそういう話もよく聞くし。

何かしたいことがある時自分はどうなるのか、なにかしたいっていう感情はどういうものなのか考えてみた。

 

とその前にやりたいこととはなにか?

ご飯が食べたい、ラーメンが食べたい、寝たい、テレビがみたい。そういうのってやりたいことなのだろうか。

なんか違うと思う。それはお腹が空いているから食べたい。眠いから寝たいという、満たされていない欲求を満たすことであって。なんていうのか、お腹が空いているとか眠いが先にきているとやりたいこととは違うと思う。

例えばスポーツ選手がプロでリーグ優勝したいケースだと、スポーツしていないとお腹が空くのでもなく苦しいわけでもない。

じゃあなにかって考えたら、自分のなかから熱とかそういうものが出せるかっていうのが大きいんじゃないかと思う。

 

その人がそれを仕事にしているかは別として、熱を持って語れるもの、考えてしまうもの、それがやりたいことだと思う。

 

やりたくないことを除けばやりたいことが見つかるっていう考えもある。でもやはりやりたいことってのは情熱を注ぎ込める熱いものだと思う。

でもそれは人によって違うんだと思う。最近人はそれぞれ違うと思う。友達がやってるから、親がいいと言っているからとかそういうので決めたらいけない。家族でも他人は他人。他人の気持ちなんてわからないし。お前には向いていないからやめておけとよく言う人がいる。

その人に向いているのは本人が情熱を持って熱心に取り組めること。本人がやりたがっているのに周りから向いていないと否定され諦めたことが1番本人に向いていることだったりする。

 

んで、一回諦めたら、もうその時間は戻らないし歳をとるにつれて難易度が上がってくる。

 

あと、子どもと対応する大人に対して思うのは、子どもが勇気を出してこれがやりたいとチラッと言ったとする。それを大人が本当にそれでいいのか?こっちの方がいいんじゃないか?もう一度考えてから教えて。どうしてそう思うの?説明できないならやめたら?などと言う。

まあいろいろあるんだけど、子どもとしたらもうたくさん考えてるんよ。考えて考えて勇気を出して言っている。それを大人はいろいろ言う。はっきり否定していなくてもいろいろ言う。子どもははっきり否定されなくてもやめてほしいんだなとわかる。大人に逆らえなくて子ども達は諦めていく。説教にしても大人の1時間と子どもの1時間は違う。子どもの1時間はものすごく長い。そういうのをわかってほしい。

 

やりたいことを諦めた子どもは大人になって、また子どもにやめた方がいいよと言う。どこかで止めないといけない。このループ。

 

話がおかしくなったけど。まあいいか。