寒い寒い好き嫌いをなくすにはどうしたらいいと思うかは好き嫌いをなくすのが良いことかどうかというのがよくわかりません
よく食べ物は好き嫌いをせずに食べましょうと言われます
しかし好き嫌いがないといけないのじゃないかとも思います
好きなもの嫌いなもの、それを我慢していると好きなものと嫌いなものがわからなくなっていくのではないかなと思います。
まぁ自分は嫌いなものが何かわからないのですけれども前は子供の頃は嫌いな食べ物があったように思いますね
好きな食べ物も前は前いや前はこれがおいしいなぁとかこれが食べたいなとか言うことがあったんですけど、やはりだんだんとそういった気持ちもなくなっていきました。
歳のせいと言うこともあるかもしれないのですけどもが好きなものと嫌いなもの持つと言う事は自分の意思を持つと言うことになりますので、自分の意見を持つ何かを主張する発表するところでそういった好き嫌いがある人の方がつよいのではないかなと思います。
まず好き嫌い食べ物にかかわらず何がしたいのか何がしたくないとかそういったものも我慢していると自分が何を考えているのかがよくわからなくなってくると思います。
例えばそのやりたくないことを我慢するのが良いことやりたいことを我慢してしないことが良いことと言うような思想、考えが、日本のものかもしれないのですけれども、よくあります
日本では外国の事は知らんけども間したくないことを我慢してすると言うことがあんまり続けていくと感覚が麻痺してしまうと思うんですよ
だそうです、また、怒られている自分の間納得のいってないことを言われているときに黙って言うことを聞けとか、言い訳をするなと、黙ってはいと言えんの、そう言われることがあると思います。
それでそこで言われたことをそのまま受け取り何を言われても、はい分りましたと言うような人間になってしまったときに、元はいいかもしれないのですけれども、それを続けていると麻痺していくで、何を言われても何も感じなくなりますね。
何か辛いことがあってももう辛いと感じることがなくなる。
嫌なことがあっても嫌なことが感じなくなる。
悲しいことがあっても悲しいと感じない。
そういった人になります。
そうですねそれで仕事をする上でまぁまぁ仕事でなくてもいいんですけど
人間関係まで案内ですけどそういったまぎした状態になるとどうしても熱がない子熱意を持って何かに当たると言うことがなくなる
熱狂すると言うこともなくなってくる。
間に何かしたいと言う熱を持った人にね他の人は影響されたりされ自分もやる気や強く持てると言うところで熱意がないと長くは続かないつよいモチベーションも持てないと言うことになりますね
結局のところそういう感情の振り幅を大きくすると言う事になると思います
感情の表に出す出さないは別として感情の幅が大きい方が良いと言うことに思います
感情の外に出す感情は振り幅の小さいものが良いとは思うんですけども
そこは自分で使い分けて外に出すところは使い分けていけばいいと思いますが
自分の中の感情と言うのは振り幅を大きくして、楽しい時は楽しい、悲しい時は悲しい、好きなものは好き、したい事はしたい、いやだもういや、そういうことことが感じ取れるように、自分のことがわかるようになりなったほうがいいと思います
そのためにやることとしては、まず自分が何が好きか、何が嫌いか、何がしたいか、何がしたくないか、を知ると言う事。
我慢してしたくないことをすることがあってもこれはしたくないことなんだと自分でしっかりわかった上でやるということが必要になってくると思います
やりたい事はこれはやりたいことなんだと自分でしっかりそれをわかった上でやることが大事と思います。