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ああああブログ

読書の感想なんかいろいろ、あれしたり、マラソンの攻略もしていきます。チャットGPTに物語を書いてもらってどうなるかの実験中

好きと得意はわける

ちょっと作る事と使うこと消費者と生産者違うと言う事について

 

自分が消費をすることが好きか何かを作ることが好きかと言うとことがどちらかわかりわかりません

 

奥様はそこがごちゃごちゃに混ざってしまうことがあると思います

 

例えば映画を見るのが好きでます大量の映画を見ているともう映画のことならすごい詳しいと言う人が映画を作ってみたいとなったときにその映画を見る事は好きで巻と得意だったと思うんですけど映画を作ることっていうのがほんとに好きなことかどうかっていうのはまた違うんじゃないかなと思います

 

そうですねそれとまぁ例えるなら何でもそうですけど問えば歌を歌うのが好きだけども歌を作るのは好きではないとか間料理を食べるのは好きだけれども料理を作ることは好きではない料理は作り方が間あるのでそれに従って作れば良いと言う所なんですけれども

 

間本当に映画とか前を書くとか生歌を作るとか何もないところから何かを作り出すと言うのはやっぱりその消費する使うと言う所と全然違う行為になると思います

 

そこがやっぱり雨間やってみたいけどもできないって言うことになるかなぁと。

 

確かに漫画を読むのが好きだったら自分も漫画を描いてみたいとは思うお花話を作ってみたいとは思うんですけど

まぁ実際はその漫画好きな人よりかは次笑を書くことが好きだった人とか何かそういった事が好きな人の方がうまくいくのかなあと

間やっぱり作るって言う事へを書くって言うことだったりとか今想像して何かを作るって言う事とまぁ本を読むとかなのあるものを目の前にあるものをなど吸収するなんて言うから後見るとか読むとか聞くとか何五感を使うというところ五感を使って感じ取る行為が消費する行為になって生産する行為と言うのは頭の中で作られたものを外に表現することになるのかな

 

違いと言えば外空にあるものを感じ取る行為と中にあるものを外に出す行為この違いです

 

何か全く違うものになるなのでどちらかと言えば中にあるものを外に出すことが得意な人はそれを違う分野にずらしてやってもある程度何かが生まれ生まれてくるんではないかなぁと思うんですけど

外にあるもの中に間感じ取るって言うところが好きな人は好きと得意な人はそれを外から中に入れたものを逆に自分たちの中から外に出すっていうことが同じように好きなようにできるかやっぱり違うな

 

何喋るのが得意な人とかも今自分の中にあることを言葉にして出してるんだそういう人は何か文章を書くにしても何かを作るにしても得意なのかなと思うんです

けどでもしゃべるのが得意でない芸術家の人もいると思います

なんでしょうねあゆ人言葉が出ないだけで頭の中にイメージがあると言うことなのかな。

 

ラーメンが食べたいラーメン大好きな小池さんがラーメンを作るのも大好き小池さんになれるかどうか

逆に絵を描くのが好きな人が絵を見ることが好きかどうか自分としてはその辺の話好きと言う事とか得意とかできるできない苦手そういったところをまぁ客観的にそのものが好きだから作ることも好きか

スキー得意できるって言う友達があるのでそこはもうそれが好きかどうかって言う所は別物として考えたいなと

 

好きっていうの得意っていうのはやっぱり切り離して考えてで後からまぁあのその考えを合わせてみると

 

元は別子好きかどうかは別にして得意かどうかと得意か苦手かは別にして好きか嫌いかっていうの考えたほうがいいよね