にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村 PVアクセスランキング にほんブログ村

ああああブログ

読書の感想なんかいろいろ、あれしたり、マラソンの攻略もしていきます。チャットGPTに物語を書いてもらってどうなるかの実験中

思っていることが言えないとなにも考えていないことになりますか?

そうはならないと思います、しかし思っているだけでは伝わらないという考えも間違ってはいない。

どうしてこういうこのを考えたかというと、認知症のお年寄りがいて、以前から足が痛かったのですが、今は痛いということを言わなくなりました。
それで痛いということがなくなったから痛くないんだろうという話になっていて。自分はそうなんだろうか、違うのではと思ったんです。
その方の表情は明らかに痛そうな顔をしていて、体に力も入っている。

もう1つは自分の話。これどう思う?と聞かれて答えてたら、聞かれるまで何も考えていないんだろうと言われたのです。
たしかになにも考えていない。だって自分の仕事の範囲ではないから。聞かれたら考えるが、聞かれていない時は自分の仕事のことについて考えています。

ふだんからなにも考えずに生きているように言われました。自分としては他人の仕事のことについて普段から考えてはいない。だが、なにも考えずに生活しているわけではない。

それを伝えると普段から言わないから考えてないんだろうとのこと。うーん。

お年寄りの方に話を戻すと、やはり人間のなかには言葉にできない方もいると思う。できても苦手だったりとか。自分も苦手なほうかな。

そういう人に対して言わないとわからない。言わないのはなにもないのと同じというのは相手のことをわかろうという気持ちに欠けている。

結局他人の気持ちなんかわからない。想像するしかない。子どもみててもそうだけど言葉にできないことってある。相手の気持ちを想像して知ろうとすることがよい社会をつくり、平和な世界になる方法の1つではないか。

それで、相手の気持ちを想像するためにはどうすればいいかというと、訓練が必要と思う。

相手の気持ちを想像する訓練、、、なんだろうか。まず、将棋やトランプなどの対人のゲーム。オンラインのゲームではなかなか相手の気持ちを想像するという気にならない。

読書をすること。マンガでもいい。マンガでない小説でもいい。気持ちを文字にするということを学ぶことと登場人物の気持ちを想像すること。

1番の訓練は実際に人を相手に想像すること。遊び、恋愛、家族、仕事、いろんな場面がある。この人はこう思うはずという先入観なしに考えてみる。こどもだから、女だから、男だから、そういうのはなしにする。

結局いろいろ話がずれたけど、なにも考えていないということになるということではなくて、なにも考えていないと言っている人が相手のことを考えていないということ。
なにも考えていないで終わりでなく、言えないけどこんなこと考えているのでは?と想像する力があったらいいなと思ったのでした。