今日は介護職員の実務者研修を受講しました。
講義の内容は右片麻痺の方のいつから立ち上がり玄関まで歩行すると言う動作についての介助をペアになって行うと言うものでした
です際に立ち上がり動作の時は足の位置や椅子の高さ始める前に確認しておくことと介護者がどの位置に立っていることがいいのかと言うのも気をつける必要があるありました
歩行退院後の杖歩行はあまりしていなくて普段は歩行器で歩行していると言うような状況の方なのです
けれども杖歩行にはあまり自信がないふらつきがあって不安に思っていると言うような形ですんですが自分の事は自分でできるようになりたいと言う思いがあります
ので歩行時は不安に思わないようにな声かけをすると言う事と自信を持って歩行ができるように、できていると言うことを伝える
何ができていてもう少しこうすると良いと言う事の具体的に伝えると言うことが必要でした
と講義の中で受けている途中に思ったことなんですけれども、その会合を解除する根拠根拠理由が何なのかと言う事をはっきりさせてから、させててからでなくてもいいんですけど、そういったものがあるか理由のある根拠のある介護ができているかどうか、と言うことが普段の仕事の中で思い返してみて思いました
最近でしたら最近ショート、やって良いサービスに通っている間利用している方にある特定の方だけに学校に行きましょうって言う介護の職員の方がそれを場面を今日思い出してまして、なぜ学校なのかその方に対してだけ。
あのもともと学校と言うことでやってるデイサービスもあると思うんですけど何とかの学校みたいな公文式みたいななんかそういうの売り出しているデイサービスなんかだったら学校でもいいのかなぁと思いますけども。
まぁそれもそれで理由だと思いますけど、そういったものでもなく、何故か学校とその本人利用者さんがまぁ学校に行くことに対して何か思い入れがあるとか何か理由があればいいんですけども。
それがちょっとどうなのかなぁと、
実際学校に行きましょうと言われている方は大体認知症の方であまり理解ができない、今できているかできていないかわからない位認知症が進んでいる方が多いです。
学校行こうって言われる方は、ただその認知症が進んでいるから学校でいいのか?
言葉にできないだけで理解はできているかもしれない。
そうしたら学校と言われたら学校なのか学校じゃないよな?と逆に混乱することになると思うので、どこまで理解も理解できてないから学校で1位の間にじゃぁお店に行くでもいいもうな、、
んでなんで学校なんか?
そもそもショートステイは止まるところなのに学校に行こうってどういうことなのかって言う事ですね。
そういった何か理由がはっきりしない、なんで学校なのかと言うのを例で出したんですけど、何をするにも見えるとか根拠が必要って思います。
なんでしょう、あるのが普通。
介護する側の都合だけで思い込みでやっているとそういった根拠のない行動に出てしまうのかなと思いました。